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2013/05/09

人類皆兄弟=兄弟じゃないヤツは人間じゃないので何をしてもいい、という価値感について

 昔から、左がかった人は苦手だったし、高校から大学にかけて、自分がそれなりに偏差値の高い学校に行きながら、周囲の、というか校内のメインストリームの人たちに付き合いにくさを感じていたのも、日本の身綺麗なインテリの人たちが持つ「善」なる世界観の独善性に、マイノリティの側で生きてきた身として、「いやいや、あなたたちが優しい顔してバッサリ切り捨ててる、善なる行動に従わない悪人とやらは、今、あなたの目の前におりますよ」と、ずっと思って生きてきた。

 まあ、そういう人たちは、自分の進む道に入れないようにして、なるべく邪魔されないように生きてきたし、世代が移り変わるにしたがって、言論の場には、徐々に自分に近いスタンスの人が増えているような気もしていた。その点、歳をとっても成長する気配がなく、最悪なのは、団塊世代とか団塊世代とか団塊世代とかのインテリ…と本人や周囲が思っている、あんまりインテリジェントじゃない人たちだとも思っていたのだけれど。

 ところが、311以降、団塊世代を中心に、そういう典型的な日本の知的じゃないインテリの人たちが息を吹き返した感もあって、あるいは、自分と同年代や、もっと若い世代からも、かつてどこかで聞いたような青くさくて、世の中を何にも前に進めない言説を耳にする機会が増えた。

 で、中でも、コレハヒドイ、と思わせるのが、やはり上の世代に属している内田樹氏の言説で、ハッキリ言って、ツイッターやら何やらで見かけるたびに、「コイツただのバカだろ」、という感想しか持たず、敢えて言及したり、批判するほどの価値も感じなかった。
 また、一方では、彼の言説を支持する人たちも一定量いるようで、特にツイッターとかで自分がフォローしているような、ワリとマトモな見識を持っていると思われる有名人の方々(たとえば、小田嶋隆氏とか)も、ときどき彼を評価、支持していたりして、これはこれで内田氏を批判するには、ノリだけでやるべきでなく、しっかりと本腰を入れてやらねばならんなー、とか思っていた。
 …とは言え、そこまで時間を割いて指弾するほど価値があるとは、到底、思えないので、一人で、ぷげらっと笑って後は放置していた。

 ところが、である。先日、彼が朝日新聞に寄せたコラムがヒドイ、と聞いて、まあ、今回も面倒くさいし、朝日新聞、取ってないし、ネット版の登録もしてないし、わざわざ読まなくてもいいか、と思っていたら、ご丁寧に、ご自身のブログにも転載している、というツイートが目に止まったので、読みに行ってみた。

 コ レ ハ ヒ ド イ

 もう、何と言うか、この文章を読んで、なんで自分がこのオッサンに反吐が出るのか、こういう連中のことが何で嫌いなのか、認識が深まった。考えてみたら、自分は中学どころか、小学校の学級会から、こういうクソみたいな、一見、美しいようでいて、何の価値もない…どころか、世の中の認識を歪めるような、クソバカどもと戦ってきたんだった。

 おまえらの善行とか、マジでくだらねぇよ。

 内田氏の中では、「グローバル企業」とかいう巨悪がいて、こいつさえ打倒すれば、世の中が平和になる、というクソしょうもない論理がまずあって、とにかくグローバル企業とやらに叩く余地があれば、何でも叩くという、19世紀の共産党員が資本家を叩いたのと同じ構図、と言うか、ネトウヨの皆さんが中国韓国を叩いているのと大差ない、非論理的な構図。

 地道に暮らす人々に慈愛を、とか言いつつ、自分は敵とみなしたグローバル企業とやらに対して慈愛を施す気持ちなんか一切ない、という、この大ブーメラン。

 あなたが言う地道に暮らしている、大企業に搾取される一般人って、一体、どこの誰ですか? 大企業に一方的に搾取されている、そんな人、本当にいるんですか?
 一方、そのグローバル企業とやらの中にいて、会社を動かしているのは、我々と同じ普通の人間ではないのですか?

 中学校や高校でイジメがあって生徒が自殺したとき、なぜか校長先生や教育委員会が出てきて謝罪することに、昔から、ものすごく違和感があるのだけど、構図としては、これも同じ気がする。
 確かに学校でイジメがあって、生徒が自殺するのは不幸で痛ましい事故だし、そのとき学校には何らか救える手段はあったと思う。あったとは思うけど、そんなもん、同じ教室にいた他の生徒や、通学路で暮らす市民や、あるいは自殺した生徒の親兄弟と比べて、一方的に断罪されなければならない程、重い責任ですか? 学校や教育委員会は、単なる組織で切っても血も涙も出ないかもしれないけれど、学校や教育委員会を動かしている先生や職員は、我々と同じ普通の人間ではないのですか?

 そういう当たり障りのない敵を見つけて叩けば、見る人は確かにスッキリするかもしれないけれど、それで何か問題が解決するのですか? そして、再三、繰り返しますが、その「敵」とやらの中にいる人たちは、あなたたちが愛せよ、と言っている人間とは何か違うのですか?
 俺には分からないよ。少なくとも、単なる気分の話をするのであれば、そのグローバル企業とやらへの不信感や敵意よりも、偽善なのか現実の認識ができないバカなのか分からない、あなたたちの方が、よっぽど気持ち悪い。
 確かに、そこに問題はあるのかもしれないけれど、そこで、そういう非論理的な攻撃をして、世の中が前に進むのですか?

 この内田氏のコラムに対する論評としては、津上俊哉氏のブログのうち、特に最後の文章が大変、共感できた。

 この寄稿で酷くdisられているグローバル企業の経営者達だって、唯々諾々と株主利益のみに奉仕している訳ではない。地域社会や国内雇用への責任を考えて、呻吟しながらナローパスを見いだす努力をしている経営者はたくさんいる。そういう人々に比べて、こんなメランコリックというか、ムーディな言説を発表する内田氏は「お気楽」すぎるのではないか。
 

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