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2013/04/13

読書録:近藤好和「弓矢と刀剣」「騎兵と歩兵の中世史」

 有識故実の研究家である著者が、前者では「今昔物語」、「平家物語」(源平盛衰記を含む)を中心とした軍記物と関連する絵巻物を対象に、後者では「太平記」とその時代の絵巻物を中心に、武者のいでたち(著者は文中で「行粧」と表記)や、振る舞いを拾いながら、中世の合戦がどのように変化していったのかを読み取る、という2作。

 個人的に仕事で刃物に関わることが多く、特に伝統的な打刃物となると、まわりに日本刀を作刀しておられる方はいないのだけど、やはり興味を持つ側の人たちは、日本刀との関連性に興味を持たれたり、間違った知識を植え付けられていたり、で、まあまあ、さらっとは日本刀のことも知っておいた方がいいんだろう、というのが読んでみた動機です。

 まあ、この本を読む前から、前述のとおり、多少、刃物に近い仕事をしてるので、日本刀の変遷については、実は平安末期くらいに大きな転換点があって、それが鎌倉末期にまた変わり始めて、南北朝が終わり室町時代に入ったころに一旦、完成するのだけど、室町期には完全に量産を主目的として、あまりいい刀剣は多くない(名刀と名高い正宗は鎌倉末)、それには製鉄法の変化もある、というくらいの予備知識は、ざっくりあったんで、その辺がより明確になると、いいなとか。

 1冊目で解説されているのは、治承寿永の乱、いわゆる源平合戦期の主力は、騎馬武者による弓射が主力であること。となると、日本人は流鏑馬を想起しがちだけれど、実際は前方への射撃が中心で疾走する場合もあれば、停止しての射撃もあること。
 まあ、これは、流鏑馬が競技や神事として成り立つのは難度が高いからで、実際の戦闘では、もちろんより確実な方法で戦うのでしょう。
 また、刀については、最後に下馬して、組み合ってとどめを刺し、首を取る場合に目立つこと等を解説しておりました。
 戦闘の種別として、政府の正規軍としての戦闘(公合戦)には規律が重んじられ、一方、荘園の在地領主として台頭してきた武士団の戦闘(私合戦)にとっては実が優先され、武家社会の幕開けを告げる治承寿永の乱に、そうした新しい合戦の姿を見る、といった感じでしょうか。

 続いて、南北朝期に入ると、馬上での刀剣による戦闘が目立ち、そのため武器が長大化していること、引き続き騎馬武者が弓を装備しているものの、弓の強大化等もあって、下馬をしての射撃が目立つこと、等を解説しており、その理由として、南北朝期以降、戦闘が(長期化、広大化することにともなって?)、掃討戦・殲滅戦中心の戦いから、領土争いが中心となり、その結果、砦に籠もっての迎撃戦が増えたこと等を要因として指摘し、また、首を取ることを重視せず、軍忠状による貢献度の申し立てで戦後の論功行賞を行っていること等を傍証として挙げています。

 個人的には、もう少し知りたかったのは社会学的な視点と、工学的な視点からの変化です。
 社会学的な面では、たとえば、戦闘の参加者(訓練された軍人か、烏合の衆か、公権力に属す人か、在野の集団か)は変化したのかどうか、変化したとすればそれが戦闘方法にどのような影響を与え、それにより武具がどう変わったのか、という部分。
 工学的な面では、材料、製造方法の変化とそれによる機能の変化、みたいな部分。
 つまり、イノベーションというのは、作り手側の技術革新によって起こるのか、あるいは使い手側のニーズの変化によって起こるのか、ということですね。

 まあ、この2作では、それなりに戦闘方法の変化により必要とされる武具が変わった、というように読めるのかなぁ、とは思いましたが、やはりもう一歩、なぜ戦闘方法が変わったのかまで知りたい感じは否めず。
 製造方法については、著者の経歴に日刀保とあって、日本刀の見方は詳しいんだなー、という記述があったものの、作刀技術の工学的理解について、基礎的な誤謬があったりして、あまり期待できませんでした。

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