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2011/02/11

ふぇいすぶっく

 まだ読んでる途中なので、詳しい感想は読了後に、また書く予定ですが、読んでいると、facebook、やってみよかなとか思わないでもない。

 ただ、なんつか、実名登録が基本なので、人格の使い分けがめんどい。

 関連ポスト; 2011/01/23 公務員とSNS

 もちろん、同書中で、facebookの創設者、マーク・ザッカーバーグは、そもそも人格を使い分ける行為そのものに否定的なワケですが。

 とは言え、個人的には、A:初対面の人向けの、真面目なインテリ風人格(趣味はCD聴いたりとか)、B:仕事関係とかの浅い知り合い向けの、真面目と呼ぶにはかなりアレなアウトサイダー風人格(好きなバンドとか洋楽なんで言っても知らないと思いますよ)、C:友人・身内向けの、面倒くさいこととかどーでもいーじゃん的態度(洋楽つかデスメタルとかメタルコアとか)、の3人格くらいは、だいたい使い分けておるわけですよ(まあ、スペクトル的に変位するので、中間層が存在しますけども)。

 このブログは、基本、B~Cの人らには、フツーに話してることを、広く一般向けに書くに当たって、Aの人に間違った印象を与えないよう、匿名性を保ってる利点があるわけですよ。別に、無責任とかどうとか言うより。
 たとえば、ウチの会社関係とかで、ハッキリ言って、あいつらが辞めるか、こっちが辞めるかだ、くらい主義主張、思想体系が異なる人種が一定数いるワケでして、自分としては、彼らとの敵対的関係、思考回路とかについては、一般論として、広く一般に主張すべきだとは思ってるんですが、ウチの会社の私がそういう意見に同調的、ということくらいはバレてもいっこう構わんのですが、先頭に立って主張ている、とかいう印象がウチの会社内で広がると、ちょっと仕事はしづらいかなー、とゆう。
 ウチの社内でやるべきことは、彼らを糾弾し、追放することではなく、こちらサイドに洗脳していくことだと思っているので。

 インターネットが広まりはじめた頃から、あるいは、それは単なる偶然で、20世紀末からの民主主義の成熟の中、情報のオープン性、みたいなコトが言われるようになったワケですけれども、 やっぱり、同じ情報に接するとしても、その判断が誰でも同一になるか、と言うと、そうではなくて、単にその人の立場や主義主張による差だけではなく、その情報を整理、判断するのに必要な、事前の情報量の共有度合いによって態度は全然、変わってくると思うのですよね。

 もちろん、facebookが目指すのは、それらの事前情報の共有なのかもしれませんが、まあ、でも、少なくとも、実名でネット上に出る場合、ネット上で浅い知り合いと遭遇した結果、その浅い知り合いの知り合いである、自分から見たらほとんど知りもしない、けど、現実世界でも一応、接点がある、くらいの人に、このmordred卿の言説が漏れ伝わる、と言うのは、まあ、なんか、世の中をあんまり良くしない気がしますよ。
 もちろん、ブログ書いてても、そこからmordred卿の正体を知ってる知り合いつながりで、浅い知り合いに漏れる可能性はある訳ですけど、今のところ、mordred卿の正体を知ってるのは、レベルCくらいな人たちなんで、そこから、レベルAの人らには、あまり、つながらないと思うのですよね。

 で、実在する個人として、facebook上に存在する自分と、mordred卿としてネット上に存在する自分を使い分けるのも、なんか、どーなんだろね、使ってみないと分からんですが、面倒くさそうじゃないですか?

 ※で、結局、最終的には、関連ポストのところで前回、書いたように、公務員として、ウチの会社のお客さんがウチの会社に対して持つ印象を曲げてしまわないか、という危惧もあるし、だから、誤解を招かないような、いい子ちゃん的発言をやるなら、このブログに存在意義がない。

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